夏は秋の後ろ姿を見る
- 株式会社 ハッピーホリック大阪
- 9月30日
- 読了時間: 2分

2025/09/30
明日からは夏は終わったという区切りになるだろうか?夏の間は「暑い暑い」って言っているくせに、秋になると何故か寂しい。「夏休み」という義務教育の中で最大のイベントとも言うのだろうか?夢を満タンにして、色々なプロジェクトを組むのだが、僕に一番の高い壁にあった「宿題」これだけは、初めに半分を終わらせた気になって、最終日に一日中を取り敢えずやっても、間違いなく終わらない宿題を覚えている。
僕は夢想家で少しリアリストとは思想が異なるかも知れない。言うだけは簡単だけど、足元が疎かになっている事が普段から多い。直ぐに調子にのる。でも調子がいいってことは悪くないと弱点を曝け出して恥をかく。今でも夢や理想が沢山あって、実現出来たこともあるけれど、期限があって敵わなかった現実と己の無力さの感傷は秋の訪れと似ている。
話が少し脱線したが「夏休み」にあるある話が生まれるのは何時もは現実が自分に課せられた重積から解放されるからではないだろうか?
しかし、私は永遠の夏休みを生きている。世界中を回って冒険して、探検して、恋をしてって終わらない夏休みの様に生きている。と言ってもそれなりの代償は支払うことになるが、僕にとっては優先順位が多くの人も違うと思うけれど、僕の大事なもの、大切なことは「時間」である。これを疎かにしていれば、僕は言い訳なんて止めて、自由に行きた方がいいと思う。では自由とは何か?それは「心」だ。
「心」は嘘偽りはないし、勝手気ままで、正直で素直で、本当に自由だ。だから出来る限り心の底から聞こえる声には応えて上げた方がいい。僕は何時も立場上、部下に聞くことがある。出来るのか?出来ないのか?そんなことを聞いているんじゃない。やるかやらないかと聞いている。成功の方程式には必ず失敗は存在する。重要なのは結果を出すか出せないかだ。成功者は皆言う。「信じるということを続けること」誰を何をじゃない。自分自身をである。それは心だ。だから僕は何のために生まれ生きて行くのか?「自由」のためだ。
最後になるが、その難しさは幾つになってもどんな人間にも等しく降り注ぐ。自由とは何をしてもいいと言うのではく、しなければならないものだ。
だがら、ルターの言葉だと言われているが、確証はないらしい。でも僕はこのフレーズが気に入っている。「例え明日、世界が滅ぶとしても僕はリンゴの木を植えるだろう」





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